一隅の経営 134
RISHO NEWS231

利昌工業株式会社 取締役名誉会長

利 倉 晄 一

 

    

【 わが国で初めてのモールド変成器の開発 】

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◆コイルを樹脂で覆う
☆私が入社して3年目の1953(昭和28)年のこと。トランス(変圧器)のコイルを樹脂でモールド(注型)するという仕事を手掛けました。京都の日新電機の変圧器関係の技術者であった植田久一さん(当時係長、後に社長)が訪ねてこられたのがきっかけです。
 植田さんは、当社の尼崎工場に来られ「日新電機でつくっている計器用変成器は、不良が多くて困っている。ユーザーである関西電力からも、対策をと言われている。コイルが吸湿して絶縁不良を起こすのが原因と思われ、いろいろ考えた結果、ベークライト(フェノール樹脂)でコイルを包むことを思いついた。その仕事をしてもらえないか」と言われました。

◆ポリエステル樹脂でスタート
 私は、植田さんの話を聞いて、こう応えました。「ベークライトを硬化させるためには、高い圧力と高熱が必要です。そうすると恐らく、中のコイルが傷むのではないか?中のコイルを傷めないで絶縁するにはポリエステル樹脂というものがあります。外国で発明され、日本にも入荷されつつあります。この樹脂は硬化に際して、圧力も熱も必要としません。常温・常圧で硬化すると聞いています。これなら、コイルを金型に入れて、樹脂を流し込むことができます。こうしたモールド方法ならコイルを傷めないと思います。ポリエステルで、やってみましょうか?」

◆当初は関西電力からNG
 植田さんが関西電力にこのモールドの話をすると、そんな話は聞いたことがないからダメだと言われたそうです。ところがしばらくして、植田さんは関西電力から呼び出されました。
 行ってみると、関西電力の変電課長が出てきて、たまたまアメリカGE(ゼネラル・エレクトリック社)のカタログを見たらモールドをやっていると書いてあった、GEほどの会社がやっているのだから間違いなかろう、ぜひやってほしいと言われたそうです。

◆各社からモールドの依頼
 そういう経緯で、日新電機が作ったコイルを利昌工業に持ってきて、当社でモールドするということが始まりました。当初は金型でなく、簡易なブリキ型で試作を重ねました。電気的にも問題ないということになって、利昌工業は、支給されたコイルをモールドして、日新電機に返して、日新電機が変成器の完成品にして出荷するという流れで量産しました。
 このモールドは有名になり、日新電機だけでなく、計器用変成器をつくっていた殆どの電機メーカーが、コイルを持ち込み、モールドをやってほしいと依頼してこられました。

◆夜中、自分の工場に忍び込んで
 そこへ、1955年の労働争議が始まります。これが180日間に及ぶ長期ストライキになったわけですから、モールドを依頼した各社からは矢のような催促で、対応に苦慮しました。不法占拠された尼崎工場に夜間忍び込んで、金型を持ち出して、私の自宅でモールドをするということもやりました。
 この時、第一組合を脱退した現場の従業員の方々が作業をしてくれたことを、今でもありがたく思い出します。ポリエステル樹脂は常圧・常温硬化ですから、大きな設備がなくともできたわけです。

◆好事魔多し
 このような苦労を重ねて供給をおこなってきたモールドでしたが、大きな問題を引き起こします。しばらくすると、ポリエステル樹脂そのものの欠陥が現れたのです。年数がたつと、モールドにクラック(ひび割れ)が入りだしたのです。多くの電機メーカーのコイルの、モールドの下請けをやっていたものですから、あっちこっちからの返品処理に長年にわたって苦労しました。
 ポリエステル樹脂の欠点は、硬化時のシュリンケージ(収縮率)が大きいことでした。これがクラックの原因でした。

◆エポキシ樹脂の登場
 この仕事はもうダメかなと思っている時に、エポキシ樹脂が出現します。エポキシ樹脂を調べてみますと、低圧で硬化できることはそのままで、ポリエステル樹脂に比べて、シュリンケージが小さいのです。
 これなら大丈夫だろうと考えて、私は最初に話を持ち込んでこられた日新電機の植田さんにお目にかかって「エポキシでやりましょう」と申し上げたのですが、樹脂で懲りたのか「うちはブチールゴムでやります」と言われました。日新電機以外の電機メーカーは、エポキシ樹脂によるモールドを依頼するところも多くありました。

◆一貫生産へと切り替え
 エキポシ樹脂の登場のおかげでモールドの仕事がなくなることはありませんでしたが、コイルのモールドだけを下請けとしてやるというのは、問題が起きた時に責任の所在がはっきりしないことも起こりえます。やはり利昌工業は、エポキシモールド計器用変成器として、一貫してつくるべきではないかと考えました。本当に製品に対して責任を持つにはわれわれが完成品として発売すべきだと考えたわけです。
 但し、それは、電機メーカーである得意先の仕事をとるわけですから、私は日新電機をはじめ、大方の変成器メーカーにお伺いして、話をしました。すると、「そうお考えになることは理解できます。どうぞ完成品まで、やってください」と快く了解をいただきました。

◆特許を出していれば…
 ポリエステル樹脂であれ、エポキシ樹脂であれ、樹脂の中にコイルを埋没させるという1953年の私のアイデアは、わが国におけるモールド電気機器の最初のものであったことは言うまでもありません。
 しかし、当時は特許をとるという考え方が全くありませんでした。今考えますと、特許を出していれば、利昌工業が日本で最初に考えたということを周知徹底できたかもしれない、少し惜しいことをしたな、というのが本音です。

◆絶縁材料メーカーの電気製品
 絶縁材料メーカーの利昌工業が、コイルをつくる巻線工程から、鉄心の組み立て、検査までの一貫生産ラインをつくって、完成品として売り出したわけですが、当初は販売に苦労しました。
 われわれの得意分野は化学ですが、用途が電気絶縁材料ですので電気の技術もあります。エポキシモールド変成器をつくるためには、エポキシモールドという化学技術と、変成器としての電気技術の両方が必要です。当社はその二つとも持っていましたが、そのことを知ってもらう必要があったのです。


◆キャラバンを組む
 そこで、販売促進のための特別部隊をつくりました。テレビ型のスライドやPR資料を満載した専用マイクロバスを仕立てて、全国の配電盤メーカーはじめご需要家をまわりました。これには、現在、副社長をしている阪本恭三君が、販売促進課長として活躍してくれました。
 こうして利昌工業の変成器が認知されるようになり、今日の利昌工業の電機部門の基礎をつくったといえます。


【 モールドトランス開発の経緯 】

インホフ博士 → ハーフェリー社 → チバ社 → MC社とつながる縁

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◆アルフレッド・インホフ博士
☆先代社長の利倉駒二郎が翻訳した『電気絶縁材料』という図書は、1964年に出版されました。私はすぐにその本をもって、著者であるスイスのアルフレッド・インホフ氏に会いに行きました。
 その際、インホフさんが、「エポキシ樹脂の注型でいろいろな電気機器ができているので、せっかく来たのだから、それを見に行きませんか」と誘ってくれました。実験的につくっている変電所のようなものがあり、案内されました。
 そこで私は、モールドで作られた配電用のトランスを見ました。利昌工業では、小型のトランスである計器用変成器はモールドですでにつくっていましたが、箪笥ほどの大きさのある配電用変圧器のモールドは初めて見ました。実際に使われているのか質問すると、本格的にはこれからだが、すでに製造しているメーカーがあるという話でした。
 インホフさんが関係している会社ではまだでしたが、ドイツにモールドで変圧器をつくっている会社があるということでした。そのうちのひとつがシーメンス社でした。このことはその後、ずっと私の頭の中にありました。

◆エミール・ハーフェリーとその一族
 話は少し変わりますが、私は海外へ出張する時は、いつも単身で行き、通訳は現地で雇うことにしています。ある時、スイスでエミール・ハーフェリー社との折衝のために雇った通訳は、小柄な老婦人でした。彼女の夫が日本人で、自分も日本に長く住んでいたので日本語を話せるのだと言っていました。確かに流暢な日本語でした。
 当時のハーフェリー社の社長は、ジェームス・ハーフェリーという人でした。創業者はエミール・ハーフェリーさんで、ジェームスさんは次男だそうです。
 通訳の彼女は、ジェームスさんと非常に親しそうで、打ち解けて話をしているように感じたので、会談が終わってから「ジェームスさんとは昔からのお知り合いですか?」と聞きました。すると彼女は「ジェームスは私の弟です」…これには本当にびっくりしました。はじめからそれを聞いていれば、ジェームスさんとの話も少し用心することにもなったでしょう。日本人はやはり、そういうことについても注意する必要があると思います。
 社長のジェームスは私の弟だと、はじめから言う義務は彼女にはないわけで、彼女がいじわるしているわけではありません。

◆チバ・ガイギー社
 その通訳の彼女の子供は、日本のチバ・ガイギー社(チバ社)にいるということも聞きました。スイスが本社のチバ社はエポキシ樹脂のメーカーで、利昌工業とは長瀬産業を通じて取引がありました。そんな関係もあり、後に日本のチバ社でプラスチック部部長をされておられたご子息、カワハラ・マサオさんが当社を訪ねてこられました。つまり、この人は創業者エミール・ハーフェリーさんのお孫さんにあたるわけです。
 カワハラさんからは「今度スイスにいらっしゃることがあったら、スイスのチバ社をご案内したい」という申し出があり、後に私がスイスヘ行った時にチバ社を案内していただきました。
 その時、配電用トランスをモールドでつくっているのはインホフさんのところで耳にしたシーメンス社と、メイ&クリステ社という会社であるという情報を得ました。チバ社はエポキシ樹脂を供給しており、注型についても高い技術を持っている会社ですから、詳しい情報を持っていました。

◆わが国初のモールドトランス
 利昌工業は本来、絶縁材料のメーカーですから、得意先である電機メーカーに迷惑をかけるわけにはいきません。モールドの計器用変成器の場合も、日新電機をはじめ、各電機メーカーに了解をとりに伺い「モールドは利昌工業さんが始めたことであり、一貫しておやりになることには異存はない」とおっしゃっていただけました。
 配電用トランスとなると、重電機メーカーにとっては主力商品ですから、従来の技術の後追いはしないと、私の考え方は一貫しておりました。チバ社でお聞きすると、モールドのトランスは日本の電機メーカーはやっていないということですから、当社がパイオニアになるわけです。
 日本に帰ると、私はすぐにシーメンス社に手紙を書きました。シーメンス社からの返事は、「モールドトランスの技術提携の手紙は受け取ったが、当社は日本の富士電機と資本、技術の提携をしている。富士電機からは、モールドトランスの技術提携の話は来ていないが、富士電機が利昌工業との提携をOKと言えば、喜んで提携してもよい」という内容でした。しかし、富士電機にそれを言うわけにはいきません。
 私は、チバ社から教えてもらったもう一つの会社、メイ&クリステ社(MC社)に提携要請の手紙を書いたのです。そしてMC社から了解の返事をいただき、折衝を進め、わが国で初めてモールドトランスの国産化に成功しました。

◆メイ&クリステ社
 MC社は、重電機メーカーとしてはそれほど大きな会社ではありませんでしたが、ことモールドトランスについては、ガラス繊維で強化する独特のエポキシ注型方法で、モールドコイルに冷却用のエアダクトを設けるなど、小型で耐久力のある変圧器として優れた技術を持っていました。
 後でわかったことですが、富士電機は、シーメンス社の技術ではなく独自でモールドトランスの開発をしていました。利昌工業が、MC社との技術提携のもとに配電用モールドトランスの国産化に初めて成功したことが、日本経済新聞に掲載されたものですから、富士電機内で大騒ぎになったようです。

◆互いに切磋琢磨
 富士電機の材料研究所長から私に電話がかかってきました。「やってくれましたなあ、うちもやっていたんですよ」と。富士電機は当社の大切な得意先ですから、私は説明のために富士電機を訪問しました。先の所長に面会すると、「この件は、実は社長が日経新聞の記事を見て知り、利昌工業は本来電機メーカーではない、それに先を越されて君達は恥ずかしくないのか…と叱られたのです」と話してくれました。
 「それでは、私からもお詫び方々、宍戸社長にもお目にかかりましょう」と言って、社長にお会いしました。富士電機の当時の社長は宍戸さんといって、私のよく知っている方でした。D銀行出身で、大阪の支店長時代からの知り合いです。宍戸さんは、「利倉さん、やりましたねー、まあお互いに切磋琢磨しましょう」と言ってくださいました。



本稿は、利昌工業株式会社取締役名誉会長 利倉晄一が社内の会議等で、発言したことを社員が記録したもので、社内報に掲載したものを一部転載させて頂きました。