一隅の経営 136
RISHO NEWS233

利昌工業株式会社 取締役名誉会長

利 倉 晄 一

 
    

【とりにゆく営業 】

☆注文というのは、もらうものではありません。こちらから「とりにゆく」のが本来の営業です。
 喫茶店のように、お客様を待っている商売もありますが、企業としての営業は、待ちの営業では成り立ちません。
 私は営業とは「説得」だと考えます。買わないというお客様に対して、説得し買ってもらうことです。まず決定権をもっている人に会う努力が必要です。そういう人は、ひと口で言うと「会いにくい人」です。会いやすい人は決定権がありませんから、まずこの会いにくい人に会うという努力が必要です。これは忍耐のいるしんどい仕事です。
 しかし、キーパーソンとの面談が叶ったとしても、その人は「買わない」といっているわけですから、いろいろ資料を提示して、われわれの商品のメリットを説朋して、説得しなければなりません。買う気のないお客様を、うまく説得できて買ってもらえたら「売った」というより「勝った」という気持ちになります。お客様と勝負しているのです。私はそう考えて営業活動をしてきました。そうすると営業という仕事が苦痛ではなくなります。

【 企業の社会的責任 】

☆企業の社会的責任は、メーカーの場合なら、新しい商品を開発して、社会の利便性や発展に貢献することも社会的に責任だと思いますが、私は企業の社会的責任で大きいのは「雇用」だと思います。
 その意味で私の経営は、大きくするというよりは、継続を重視してきました。すぐに倒産したり、リストラしたりするような会社は、継続的な雇用を維持しておりませんから、社会的責任を果たしているとはいえません。
 やはり、つとめる人が、安心して、その会社に長く働けるようにするのが、企業の社会的責任ではないでしょうか。

【 知識と知恵 】

☆有名な大学を出て、勉強もよくできた人が、必ずしも社会に出て成功するとは限りません。よく言われることですが、そういう人は「知識」は確かにたくさんもっているのですが「知恵」がない。
 それでは、知恵とは何でしょう?「自分で考えること」だと私は思います。
 知っていることはたくさんあるが、自分で考える力に欠ける。こういう人は、ちょっと考えたらすぐわかることを、考えないから、とんでもない失敗をしてしまいます。
 信長は東大を出たわけでも、ハーバードを出たわけでもありませんが、自分で考えて知恵を身につけて成功した部分も大きいと思います。
 当時の鉄砲は、一発撃てば、次に撃つまで玉や火薬をつめるのに時間がかかり、合戦にはとても使いものにならないとされていました。しかし信長は三千挺の鉄砲を三段構えでつるべ打ちにするという新戦法をあみだして、戦国時代最強と言われた武田の騎馬軍を長篠の戦いで撃退します。
 これは、鉄砲に関する豊富な知識、それを生かす知恵・工夫が勝利につながったと言えます。
 知識も大切ですが、自分で考えて知恵をつけましょう。考えることで工夫が生まれるわけです。

【 組織 】

☆組織は目に見えません。
 したがって、やはり倫理に厳しい社風にしておかないと、組織などもちません。
 ある企業の組織が強いか、弱いかは、組織を構成するみんなの、組織を維持しよう、組織を守ろうとする意志力の強さで決まります。
 社長一人の意志力では駄目です。全員が、やってはならないことはやらない。やると決めたことは確実にやる…その意志力の強い弱いで、目に見えない会社組織の強い弱いが決まります。
 昨日も一昨日も、別に問題にならなかったら、少々ルール違反してもかまわない…というものではない。これでみんな失敗します。
 つぶれる会社は、組織が弱いのです。


ここまでは、利昌工業(株)取締役名誉会長 利倉晄一が社内の会議等で発言したことを社員が記録したもので、それをもとに編集しました。






【 社歌の制定 】

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☆1971(昭和46)年、この年は利昌工業が創業50周年を迎えた年ですが、社歌を制定しました。社歌を歌うことは、従業員の結束を図るという効果もあります。
 「五指のこもごも弾くは捲手の一挃に若かず」という言葉があります。5本の指をばらばらに1本ずつ弾いても、握りこぶしで一度突いたのには及ばないことのたとえです。個々の力が団結することによって、力は何倍にもなるわけです。組織というのは、そこに属する人が一致団結し気持ちを高めることによって、より大きな成果を発揮できるのです。
 そこで、当社も社歌をつくることにしたのですが、私が一番に考えたことは、作詞、作曲を誰にお願いするかということです。その頃、社歌をつくった会社を見てみますと、流行を追って、その時の売れっ子の作詞家や作曲家に頼むケースが多くありました。  ところが後に、その作詞家なり作曲家が、不祥事を起こして新聞沙汰になるようなケースも…。その歌を従業員が歌う気になれるだろうか?やはりある程度、名声の確立した人でないと…という思いもあって、作詞家、作曲家の選定にはこの点を留意しました。
 たまたま私の知人が、作詞家の藤浦洸氏、作曲家の古関裕而氏を知っており、紹介できるということでした。
 藤浦先生はテレビにもよく出ておられ、すでに高い評価を得ている方であり、古関先生は戦前から知名度の高い作曲家で、数多くの曲をつくっておられます。われわれには、阪神タイガースの「六甲おろし」などが馴染みのあるところです。
 そこで私は紹介してほしい旨を伝えました。お二人とも立派な方で、引き受ける前に、一度、経営者の方と会いたいと、わざわざ大阪まで来られました。結果、お二人とも、喜んで協力しましょうと引き受けてくださいました。
 藤浦先生は、応接室に掲げていた「企業理念」を見て、それをメモされていたのが印象的でした。できあがった歌詞の中には、企業理念の精神がちゃんと織り込まれておりました。
 社歌の演奏、録音は、私の母校である関西学院大学のグリークラブに頼みました。当時も全国的に定評のある合唱団でした。



本稿は、利昌工業株式会社取締役名誉会長 利倉晄一が社内の会議等で、発言したことを社員が記録したもので、社内報に掲載したものを一部転載させて頂きました。