一隅の経営 111
RISHO NEWS208

利昌工業株式会社 代表取締役会長兼CEO

利 倉 晄 一

 

利昌洋行の時代

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  利昌工業の前身は、利昌洋行という貿易会社でした。1921年の創業です。大正から昭和のはじめにかけての頃ですが、国産で良い絶縁材料がなかったので、海外から輸入したものを日本の電機メーカーさんに納入しておりました。
 私の先代・利倉駒二郎が偉かったと思うのは、舶来品だから良い物と考えて、そのまま納品するのではなく、社内でテストして、データをつけて出荷していたことです。
 このために、利昌洋行はスイスから12万ボルトの試験用変圧器や、15万ボルトの衝撃電圧発生装置を輸入して備えておりました。

 データを改ざんしたり、誤魔化したりする事件が報道されていますが、利昌工業の原点は利昌洋行時代から連綿と続く、この姿勢にあると思っています。
 ちなみに現在、利昌が保有する試験用変圧器は45万ボルト、衝撃電圧発生装置は120万ボルトに昇圧されています。



同族会社の経営

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 先代が1961(昭和36)年に亡くなって、私が経営のあとを継いだわけですが、その時に誓ったことが3つあります。
 先代の亡くなった1961年は創業40周年にあたります。私が誓ったというか、決意したことは、あと60年、つまり創業100周年までは…
@自主独立でゆく。
Aどんなに苦しくても会社の資産は売らない。
B会社の不況を理由に従業員を解雇しない…
 この3つでした。
 自主独立というのは、むこう60年間、現状の一族の資本だけでやる。自由と尊厳と勇気という3つの価値観を大切に考えて、他の資本は入れない、他に助けを求めないという決意をしたわけです。考えようによっては、非常に保守的で、その時点で、経営の自由度を切ってしまったことになります。
 西郷隆盛翁は、子孫の為に美田を買わずと、おっしゃったが、それは個人の場合であって、組織の場合は、私は違うと思います。日本の財政でもそうですが、膨大な借金を後世の人に残すというのは立派な政治とはいえません。
 会社も、経営が苦しくなったからといって、会社がもっている資産を売却して、それで、その時点の帳尻を合わすというのは、誤魔化しの経営だと思います。従って私は、会社が苦しい時でも絶対、会社の資産は売らないという決心をしたわけです。
 3つ目の、従業員を解雇しないというのは、現代社会は、大半の人が会社勤めをしているわけですから、企業の社会的責任の中で「雇用」は非常に重要な位置をしめると考えます。またリストラをしたくなる時は、大方、不景気の時であって、解雇された人の再就職は難しい時です。従って私は、可能な限り、解雇はしない、短期の契約で働いてもらっている人は別ですが、少なくとも正規従業員の解雇はしない…としました。
 むこう60年間、そういう手足を縛ったようなやり方で、利昌工業はやっていけるのかどうかは疑問で、そもそも、むこう60年間、私の命があるかどうかもわかりませんが、私はやると決めた以上、可能な限りやるということでスタートしました。
 しかも、大事なことは、いくら自由や尊厳や勇気といっても、「結果」が良くなければ意味がありません。携わる従業員を不幸にしては意味がありません。
 私の経営は、会社を大きくすることを目的にしていません。継続することを目的にしました。結果は、大きくなっており、発展もしましたが、それでも良くなっていなければ、継続することはできなかったでしょう。
 従って、私は、経営そのものは極めて保守的にやりましたが、新商品の開発、新事業への進出など、運営は積極的にやりました。
 あれから57年、私は満88歳になり、100周年まで、あと3年というところまで来ました。自主独立、資産は売らない、解雇はしないという、三つの誓い、約束は及第点が取れたと思います。
 私が入社した昭和26(1951)年当時は、従業員が60〜70名程度でしたが、現在は1000人近くになっています。資本金は先代が亡くなった当時が1億円でしたが、一族だけで4億5000万円までもってきました。
 財務内容も、世間並か、少し上か、という程度にはなっていると思います(2017年3月期・自己資本比率62%)。
 私が最初に決めた三つの誓いが成就できたのは、もちろん私ひとりの力ではなく、支えて下さった多くの関係者の皆様、わけても利昌工業の歴代の多くの従業員の方々のお蔭です。戦略は私が立てましたが、それを実行し、具現化してくれたのは、多くの従業員だからです。
 私が立てた、三つの誓いで、いわば手足を縛ったのは、同族会社ゆえのことであります。100年間は、しっかりとした、世間に迷惑をかけない同族会社でありたいと決意したからです。同族会社の良い点は、短期的な利益を追わず長期的展望にたって経営ができることですが、同族会社の悪い点は、公私混同です。この点は、私自身はもとより、他の一族に対しても、厳しく諌めてきました。会社の資産と、一族の個人資産は完全に分離されており、公私混同がなく、恥ずかしくない同族会社にできたと思います。
 私は、100周年までと期限を設けました。いつまでも同族会社というわけにもまいりませんし、経営には自由度がなければなりません。
 100年より先は、その時の経営者が考えれば良いことだと思っております。


本稿は、利昌工業株式会社取締役会長兼CEO 利倉晄一が社内の会議等で、発言したことを社員が記録したもので、社内報に掲載したものを一部転載させて頂きました。