一隅の経営 131
RISHO NEWS228

利昌工業株式会社 取締役名誉会長

利 倉 晄 一

 
    

【私の人生】


131-01

軍需工場
 ☆戦争中、利昌工業は軍需工場でした。つまり、お客様は軍であったわけで、そのお客様がいなくなってしまったのですから、戦後は、非常に苦しい状況に置かれました。
 私の知る比較的規模の小さい軍需工場は、皆潰れました。どうにか生き残った企業も終戦を機に解散のような状況に陥ってしまいました。利昌工業にも戦争中は数百人の従業員がいましたが、戦後は故郷に帰る人も多く、数十人にまで減っていました。
 しかし、父の頑張りで倒産だけは免れました。

利昌工業に入社
 そういう状況の時に、私は利昌工業に入社しました。まだ会社が十分、立ち直っていない時でした。私の入社は1951年(昭和26年)。敗戦から6年しかたっておらず、私は21歳でした。この年は利昌工業の創業30周年にあたります。
 そして私は父とともに再建のために頑張ってきたわけですが、10年たった1961年に父が死去します。利昌工業の創業40周年の年にあたります。父・利倉駒二郎の突然の死で私の人生は大きな方向転換を余儀なくされます。

創業100周年を迎える
 というのは、私は次男で、利昌工業にこのまま留まるつもりはなく、別の生き方を心に決めていたからです。父には辞めたいという意志は伝えていましたが、父は私にやってほしいということで、この話は決着がつかないままの、父の突然の死でした。
 結局、私は別の生き方を捨てて、以来60年にわたって利昌工業に身を費やすことになります。代表取締役、社長、会長、CEOとして、私は利昌工業の経営に専念してきました。
 入社60年目の81歳の年、創業90周年になりますが、息子の利倉幹央が代表取締役社長に就任し、私は代表取締役会長兼CEOになりました。
 そして2021年、創業100周年を迎えることができました。私は92歳になっていました。

迷惑をかけない
 利昌工業は、今より企業規模が小さい頃から、自ら開発し、自ら生産し、自らの力で販売するという姿勢を堅持してきました。そして自主独立の精神と、ステークホルダーや社会に対して、決して迷惑をかけないことを信条として努力してきました。
 すなわち企業は善なる存在でなければ、社会はその存在を許してくれない。企業の目的は利益の追求であっても、追求する手段とその利益を使用する方法が社会に対して善であり、社会貢献につながるものでなければならないという考え方で、当社は一貫してやってまいりました。
 国家でもそうですが、自主独立は、自由を保証しますが、同時に結果が良くなければ意味がないということを、強く考えておりました。従って100周年までは、決して他に資本を求めることをしないで、自ら困難な道を歩んできました。

これがために
 父が死去した年、私は別の道を諦めて利昌工業とともに人生を歩むことにします。そして父のつくった会社を100周年まで頑張って守ろうと決意しました。あと60年も生きていられるかどうか、それはわかりませんが、そう決めたのです。
 さらにその時、私は自ら「三つの誓い」を立てます。それは安易に達成できるものではなく、ハードルの高いものですが、別の道を捨てた以上、社会教育家の後藤静香(せいこう)先生が『権威』に記されたように、私も「われこれがために生まれたり」と、はっきりいえるものを、利昌工業でつかまねばならなかったからです。
三つの誓い
 その三つの誓いとは、一つ目は、自主独立を守り他に資本を求めない。二つ目は、資産を売却してつじつまをあわせることはしない。三つ目は、不況を理由に従業員をリストラしない。この三つです。
 私自身の生き方は、ストックで生きることを良しとしません。インカムで生きることを良しとして、自分の人生を貫き通してきました。会社も同様、ストックで生きないでインカムで生きる、すなわち資産を売却してその時の決算のつじつまをあわせるということはしませんでした。
 いくら自主独立といっても、結果が悪ければ意味がありません。支配から逃れるために小さな国が独立を果たしますが、結果、経済が振るわず国民を疲弊させているようでは意味がないのです。
 私は会社をぼろぼろの状態にしておいて、自主独立を誇示する気はありません。工場の整備も、また次の時代を生き抜くための研究開発も、しっかり筋道をつけていかねばならないと考えています。幸い当社は、財務内容も恥ずかしくない状態ですので、三つの誓いを達成できたことは良かったと思っております。

注型技術を確立
 先代の利倉駒二郎は、フェノール樹脂の積層板など「積層技術」の基礎を当社でつくりました。私はそれを引き継ぎながら、新しく樹脂モールドという「注型技術」を確立しました。エポキシ樹脂の注型技術で計器用変成器をつくり、変圧器をつくり、がいしをつくり、世界で初めてモールドの高圧進相コンデンサも商品化しました。
 最近当社の製品で、2万ボルトや3万ボルトという特別高圧で、容量が2000キロボルトアンペアを超える、大型モールド変圧器が、洋上風力発電の昇圧変圧器として実証実験に合格。採用が増えています。これも、これからの商品として力を入れています。

時代に即した経営
 100周年を迎え、私の企業人としての生活は、ほぼ終わりに近づきました。次の時代は現社長がいろいろ考えていくことと思いますが、私自身の考えでは、100周年より後は、三つの誓いは時代にそぐわないものであると思っております。
 経営の自由度を取り戻し、時代に即した経営が必要です。同族会社として経営していくのもよいと思いますし、その他いろいろな選択肢を持つべきです。もちろん他社との合併、他社の買収もありましょうし、またその逆もありえます。
 ただし、そのことが一般従業員の雇用にマイナスにならなければよいと思っております。あくまでもプラスになることが前提です。

利倉晄一著『三代でつないだ利昌工業100年史』より抜粋

これがために
たしかに生まれた
必要なからだ
たしかに生きている
まだ用事があるからだ
「われこれがために生まれたり」  
はっきりと
そう言いうるものを
つかんだか

出所:後藤静香 著『権威』

『権威』の初版は1921年。多くの教育者や青少年に愛読されました。


本稿は、利昌工業株式会社取締役名誉会長 利倉晄一が社内の会議等で、発言したことを社員が記録したもので、社内報に掲載したものを一部転載させて頂きました。