■国家総動員法を受けて
昨年2021年は、利昌工業の創業100周年に加え、尼崎工場の操業開始80周年でもありました。
利昌工業が尼崎市上坂部森前(現在の南塚口町)に1万坪の土地を得たのは1938(昭和13)年です。当時の主力工場は大阪市西淀川区大仁にありました。前年に日中戦争の端緒となる盧溝橋事件が勃発。これを受けて国家総動員法が発令されると、通信機に必要な積層板や艦船用の絶縁材料を製造する利昌工業も否応なく戦時増産体制に組み込まれ、第2工場の建設に着手することになったのです。
当時の大阪には、大阪城内にあった砲兵工廠(ほうへいこうしょう)をはじめ、ここに部品を納める大小の軍需工場が集積していました。そこで戦火を避ける疎開先として、人家もまばらで一面の田園地帯であった当地を選びました。
事実、主力の大仁工場は1945年6月7日、白昼の大阪大空襲で焼失しています。
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■建屋の建設に難儀
土地を得た後は、建屋の普請に難儀しました。
戦火の拡大と長期化、さらには対日経済制裁により建設資材は払底。釘一本にまで統制がかかる中、鉄骨の調達などいわんやをや。
しかし積層板を製造するためには、柱がなく、広くて高い空間をもつ建屋が必要です。方々あたってようやく、これを木造で実現することができる建設会社(大林組さん)を見つけました。
大林さんによる面積約600u、高さ12mで柱がない空間を持つ建屋(第1 プレス工場)の木組みは実に見事です。
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■現役で稼働
尼崎工場では、このおりに建てられた多くの木造建屋が幾星霜、さらには1995年1月の大地震にも耐え、今も現役で稼働しています。
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尼崎地域・産業活性化機構による産業遺産に関する調査報告(2004年)には、これらの木造建築が群として残っていることに価値を見出すことができると記されています。
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■絶えざるご愛顧の賜物
神社やお寺ならともかく築80年の木造建屋が、今日も稼働する理由は、ご需要家様よりお寄せいただく「絶えざるご愛顧」にほかなりません。
新製品が短期間で陳腐化することも多い中、おかげさまで尼崎工場の主力製品である「熱硬化性樹脂積層板」には、この80年間、途切れることのない多くのご注文を賜っております。それゆえ鉄骨の建屋に更新する暇(いとま)なく、今日に至っているような次第です。
これらの木造建屋には、防火工事や耐震補強、さらには定期的な屋根の葺き替え、外壁塗装など、更新にかかるよりも多くの費用をかけて入念なメンテナンス行っております。このためご来訪のお客様には「凛とした佇まい」であるとのお言葉も頂戴しております。今後とも倍旧のご支援・ご厚情を賜りたくお願い申し上げます。
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